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ギャラリー&インテリア 美卯 〜つれづれに〜

外村吉之介先生

[ 2018-10-22 17:00 ]

秋の一日はとても短く感じますね、美卯オーナーです。

前回のブログでご紹介した外村吉之介先生は知れば知るほど興味深い方です。
まず、私と誕生日が一緒だということ・・・というのはただの偶然ですが(^^ゞ、


外村先生はキリスト教の神学校在学中から日本文学や芸術に関心があり、柳宗悦著『工藝の道』を読んだのをきっかけに柳宗悦先生に直接師事。
そして民藝の実践者となるために本人ははじめ陶芸を志したそうですが、柳先生の薦めで牧師の仕事の傍ら織物をはじめます。
戦前は静岡県掛川の葛布の再興に勤めたり、沖縄の琉球文化の伝統や街並み保存に力を注がれました。外村先生は琉球の織物をはじめその文化に民藝の原点を見、深く影響を受けたと伝えられますが、この部分はこれから深堀できたらいいなと思います。

沖縄はご存じの通り太平洋戦争の激戦地となり多くの人命と共にその貴重な文化のことごとくが失われてしまいました。
その事実を知った時の外村先生の無念はいかばかりだったでしょうか・・・。この沖縄とのかかわりが後年倉敷移住へと繋がったのかもしれないと勝手に想像してしまいます。
なぜなら、、、。戦時中に沖縄から倉敷紡績に挺身隊として動員されていた女子20数名が終戦によりアメリカに占領された沖縄に帰る事ができずに倉敷に取り残されます。その中には芭蕉布という琉球伝統の織物を生業とする家に生まれた平敏子さん(後年人間国宝になられます)がいて沖縄の工芸技術を守るために「沖縄工芸村」を倉敷にという構想が持ち上がります。
その指導者として倉敷へ来ないかと外村先生に声がかかったのですが、失われた沖縄への想いが先生を倉敷へ導いたのではないでしょうか。

昭和21年に倉敷へ移るにあたって外村先生は牧師をやめます。これ以降は伝道活動はせず、昭和28年に自宅に創設した倉敷本染手織研究所は生徒に織物の技術と民芸の心を教えましたが、ここでも布教をすることはなかったといいます。
生徒は住み込みで先生一家と寝食を共にする生活でしたが、食前のお祈りは先生だけがされていたとか―。
戦前は民藝の活動を熱心に取り組みながらも牧師としても活躍されていたのになぜやめてしまったのかとても気になります。

外村先生はじめ民藝の先達が時代の波に翻弄されながらも自らの信念を生ききった姿には学ぶところが余りにも多く興味が尽きません。

倉敷美観地区に学ぶ

[ 2018-10-21 17:20 ]

今日は雲一つない美しい青空の広がる我が街より、美卯オーナーです。
心地よい秋の行楽日和の休日、旅心がふつふつとしてきます。

9月に訪れた倉敷の街では様々に学びを深めましたが、その一つが倉敷美観地区の保存についてです。



江戸時代の街並みの景観がほぼそのままの美観地区ですが、現代まで自然に残ってきたわけではありません。

当然明治以降の近代化と戦後の復興再開発の波の中で成り行きに任せていれば日本中で行われた列島改造の中でとうの昔に失われていたことでしょう。

我が街を振り返ってみてもそうですが、身近なものほどその価値を見誤り易いようで後に遺しておけば街のシンボルになったであろう歴史的建造物が既にない事を悔やまれることしばしばです。

倉敷にしても同じ道をたどる可能性があったわけですが、その街に戦後昭和21年に織物の指導者として招かれた外村吉之介が家族と共に移住してきます。
外村先生は民藝の提唱者である柳宗悦師の直弟子であり、キリスト教牧師の仕事の傍ら戦前から沖縄の織物研究や街並み保存に尽力されていました。

そんな外村先生が倉敷の街並みをはじめて眺めた時どんな感想を持たれたのか興味深いところです。
当時ほとんど日本中の市街が戦争で灰燼に帰す中でこの美しい街を見て絶対にこの景観を後世に残さなければならないと思ったのではないでしょうか。また外村先生は“外”からやって来たからこそより深くこの街の貴重さに気付けたのではないでしょうか。

外村先生は倉敷紡績(クラレ)創業家であり大原美術館を設立した大原家の支援の元、岡山県民藝協会を設立、倉敷にある伝統的な建物の保存運動を展開。その活動のお蔭で現在私たちはこの美しい街を観光できるのですが、近年日本各地で起こっている街並み保存運動の原点はここにあるのかもしれません。外村先生をはじめ民藝の先達の先見性に改めて驚かされます。

今日、美観地区は倉敷川河畔のみならず周辺の路地へも整備が進み面としても広がって、街歩きの楽しさも増しています。

倉敷へー

[ 2018-10-13 16:42 ]

朝晩めっきり寒くなりましたね、美卯オーナーです。

まだ夏の名残のある9月初旬に倉敷へ民藝を訪ねて来ました。

倉敷は20数年ぶりだったのですが、前回は観光バスツアーのため時間が短くでしっかり廻っていませんでした。
今回は手仕事フォーラムさん主催の全国フォーラムに参加、倉敷にある民芸縁の各所を巡りです。

自宅から倉敷までは鉄道を使って行きましたから、倉敷駅から目的地まで地図を頼りに街を歩き回ることになり、おかげで倉敷の街を立体的に知ることが出来ました。
やはり徒歩であれば街の小さな路地までも隅々まで入って行けるので、新しい発見や出会いがあり愉しめます。
今回は残念なことに雨降りがほとんどでしたが、倉敷のような街は雨が町の風情をより深めてくれるので美しかったですよ(負け惜しみでなく・・・(^^ゞ)

20年前との違いは運河沿いの木がとても大きくなっていたことと、やはり外国人観光客がとても多かったことですか、、、。
でも大原美術館をはじめどっしりと変わらない安定した風景に心癒されるものがありました。

私は勉強不足で余り知らなかったのですが、今回のツアーに参加して倉敷美観地区の現在の在り様は民藝運動によって護られ現代へ受け継がれたという重大な事実を知りました。現代の街づくり研究の視点からも大変興味深い事実です。

民藝の運動家であった先人たちの先見性と叡智には目を瞠るばかりですし、そういった街であるからこそ現代でも倉敷は誇り高く手仕事を守る職人が育つ土壌をもっているのだと思いました。

 

ちょっとご無沙汰しております(^^ゞ

[ 2018-10-08 15:48 ]

真っ青な秋空に旅心が揺れる美卯オーナーです。お久しぶりぶり―。
9月はブログの更新が一度もなかったですね(-_-;)スミマセン。
9月前半は結構忙しくして、ブログに書きたいことも沢山あるのですが、
夏頃からの体調不良が一気にぶり返して主治医も\(◎o◎)/!の9月でした。

これからボツボツ面白かったことを書いていけたらと思います。

その第一弾は『木曽川鵜飼』
犬山城下を流れる木曽川で行われている鵜飼をはじめて船に乗って観てきました。
子どもの頃にぎふ長良川鵜飼いに行ったことはあるのですが、あまり印象に残っていません。
今回は知人友人で船を貸し切って宴会をしながらという事も楽しみに参加☺


初秋の風に吹かれながら1300年もの歴史を誇る古代漁法を篝火の灯りをたよりに眺めるのはとても風情があって楽しめ、
正に川合玉堂が描いた絵画の世界が目の前に展開されていきました。

この伝統ある木曽川鵜飼もご多分にもれず存続の危機にあると聴きました。
人と自然の協働と言えるこの美しい光景が永く伝えられることを願ってやみません。


ご興味のある方は↓をご覧ください。
https://www.furusato-tax.jp/gcf/88

 

天災と人災\(◎o◎)/!

[ 2018-08-26 14:27 ]

台風一過、戻ってきた猛暑にかな~り負けております、美卯オーナーです。

このところ\(◎o◎)/!するようなことが2件ありました。

ひとつは8月23日段階の台風19号と20号の進路予想図で25日9時の予報円が一部重なっていたこと―。
2つの台風が合体する現象があると聴いていたので、もしかしたらと、不謹慎にもその自然現象がみられることを期待してしまいました^^;

そしてもう一件は人的な災害のようなもの。
迷惑メールが先週初めに大量に送られてきて\(◎o◎)/!
なんと一日で640通中送られ、そのうち604通が海外からの迷惑メールでした。
殆どが英語ですが、中にはロシア語があり、中国からのモノも(-_-;)

特に目を引いたのは同じ件名(Med~)で発信元が異なるものがたて続けに数百通も!!!
迷惑メール設定で自動的に選別されますが、余りにも数が多いのでそれなりに処理するのに時間が取られました。

そして翌日も9割近くが迷惑メール。
その傾向は続いていて、今日は週末のせいか届くメール自体が少な目ですが、それでも9割近くが迷惑メールです。

改善したくても仕事用のメールアドレスは簡単には変更できず困ります。
今回のように同じ件名が同時に並ぶなど迷惑メールとわかり易いものはいいのですが、「Re~」といった巧妙な件名でくるなどどんどん手口が巧妙になってきて困ります。
文明の利器による便利さは危険と隣り合わせ、常に安全情報に目を配らなければいけないようですね(-_-;)

 

「健康で、無駄がなく、真面目で、威張らない」

[ 2018-08-20 16:23 ]

連日の炎暑が嘘のように落ち着いているこの数日、このまま穏やかな秋になって欲しいものですね、美卯オーナーです。


民藝を表すのに「用の美」という言葉がよく用いられますが、この言葉にはさらに説明が必要になってしまいます。

聴いた方がそのまま理解できるのは倉敷民藝館の元館長・外村吉之介(とのむらきちのすけ)が民藝の精神を説いた

健康で、無駄がなく真面目で、威張らない

という言葉ではないでしょうか。

外村先生は民藝の手仕事はこの精神の元になされるとされましたが、民藝と共に歩む人の生き方も示唆されているように思います。

日々の中でついつい自分という器の中を自我で一杯にして傲慢になりがちな私には「真面目で威張らない」という言葉が心に深く落ちてきます。

民藝の手仕事から生まれた品々を日常に使うことを通じて、日々我を省み毎日を謙虚に過ごしていきたいものです。

自由研究(^^ゞ

[ 2018-08-19 17:48 ]

夏が~過ぎ~♪ようとしています、少なくとも暦の上ではね、美卯オーナーです。

そろそろ子どもたちも夏休みは総仕上げの頃合いです。
今時は宿題も9月に提出ではなく、出校日毎に提出物の締め切りがあるのだとか―。
私はギリギリまでやらない生徒だったので夏休みの最後はいつも悲惨でした(-_-;)

特に苦手だったのは今でいう自由研究(-_-;)
私の頃、地元公立では「発明工夫展」なるものに出品する作品の製作がお題でしたが、理系でない自分にはとてもハードルが高かった!!!(怨)

我が親も苦手だったのか忙しいからなのか、この課題は全く手伝ってくれなかったようで、小学校6年間どうやってこの課題を切り抜けたのか・・・今では定かではありません・・・。
毎年夏の終わりにはこの年齢になってもこの時の気持ちが蘇ってきます(^^ゞ

そんな子どもの頃を思い出しながらちょっと自然観察を一つ―。
地元で朝食のモーニングサービスを頂く喫茶店にはよく変わったお花などが飾られていて面白いのですが、
先日そこに飾られていた“蒲の穂”に興味がひかれました。

蒲の穂といえば思い出されるのは出雲神話の『因幡の白兎』。
話を要約すると、小ずるい白ウサギが悪さをしてその報いに重い皮膚炎になるのですがそれを助けたのが大国主命。
うさぎに「真水で傷を洗い蒲の穂を集めて中をまき散らしてその上に転がれば皮膚は元通りに治癒する」と治療方法を教えます。

うさぎ年生まれのせいか昔からこの神話が好きです。
ただ今回蒲の穂の実物を見てどのように治療に使われたのか不思議で興味津々。

―だったら蒲の穂を観察してみよう・・・と一本分けて頂いてきました。
頂くときにお店のご主人からは「絶対家の中で折ってはダメ!」というメッセージ。

では~と帰宅して小庭で割ってみたら・・・

蒲の穂は・・・たった一本だったのに!!!
辺りを信じられない量の綿毛が溢れるように飛び舞いはじめたのです\(◎o◎)/!

穂の中身の余りの密度に恐れ入り!中は全て綿毛!
あっという間に手の中から全て霧散して何もなくなってしまいました!

観察結果―
この綿毛にはどういった治療成分がふくまれているか不明であるが、フカフカで気持ち良さげだという事が解明された(^^ゞ

さ~て、ご近所につい振り撒いてしまった綿毛は蒲の種ということになりますが、
来年この辺りで蒲の穂を見掛けることがあれば、もしかしたら、もしかするかもしれませんね―^^;


 

 

 

あの子はどこへー

[ 2018-08-11 16:39 ]

今日もまた35℃超える猛暑に加え真夏だというに乾燥注意報発令されるカラッカラの尾張国一宮より、美卯オーナーです。

 

8月に入ってから太平洋戦争に関連した番組がみられるようになりました。

その中で注目したのは戦後に親を失った子供がどう生き、今どうしているかというドキュメンタリーです。

驚いたのは私の両親と余りと年齢の変わらない方たちも空襲で家族と家を失い戦災孤児として扱われ、戦争を生き残ったものの護ってくれるどころか大人から動物のような扱いや搾取され、多くの孤児が亡くなったという事実です。

これまでの戦後特集ではあまり子どもたちの視点で描かれることがなく、終戦後の記録映像で戦災孤児が映るたびにこの子はその後どうなったのだろうか?と気になっていました。

私の両親は軍隊に入隊したり、集団学童疎開で家族と離れたりしていましたが、幸い帰る家と家族があったので苦労をしつつも平穏な戦後昭和時代を生きることができました。でもあのまま戦争が続いていればそうはいかない紙一重だった、だからこそ、戦災孤児たちの戦後を知って心が痛みます。

そして昨夜深夜の時間帯にNHK総合で再放送された「父を捜して~日系オランダ人 終わらない戦争~」(2017年製作)は戦争がその時代のみならず終わった後も多くの人々を傷つけ続ける事を伝えていました。

戦前インドネシアは300年間オランダの植民地であり、そこには多くのオランダ系(インドネシア人との混血)住民がいました。日本がインドネシア占領後にそういった人々は捕虜となり過酷な労働を強制され、日本はオランダ系の人々に深い恨みを買うことになります。そんな経緯が尾を引いて現代でもオランダ人は親日的ではないようです。

そんな戦時下に日本人の軍属とオランダ系の女性の間に生まれた子どもたちがいましたが、終戦後父親たちは日本へ強制送還され、また取り残された子どもたちも戦後インドネシアがオランダから独立したためにオランダ系の母親とその家族と共にオランダへ送還。そのため父と子たちはお互いの安否を確認する術を失いました。

オランダで子どもたちは日本人の血を引いているということで家族から差別され孤立したり、暴力を振るわれたりして厳しい生育環境に置かれます。オランダ系の人々は自分たちを暴力で支配した日本人を許せず、その怒りの矛先を子どもたちに向けたのです。

元孤児の中には50歳近くになるまで自分には日本人の父親がいる事すら知らされず、その暴力の理由がわからずPTSDに長年苦しんだり、、、。自分の父親が日本人であることを知ってはじめて自分に向けられた暴力の意味と原因を知ったのです。

改めて『暴力』とはおそろしいものだとー。
戦争という巨大な暴力が家庭や個人の生活の中にも入り込み仲睦まじい家族や人々の絆や人生を壊していくー。
しかもそういった暴力は最初に暴力を受けた人から常に更に立場の弱い小さい者たちへ向い連鎖する事、この憎しみの連鎖は勇気をもって断ち切る人がいなければ更に次の世代へ連鎖し続けていくという事実。

終戦73年経った今も戦争の産んだ暴力の連鎖との戦いは続いているのです。

今年も終戦の日がやってきます。おおくの御魂が安らかなることを改めてお祈りしたいと思います。

 


 

お部屋の緊急暑さ対策に

[ 2018-07-27 17:15 ]

我が街では一宮七夕まつり開催中―。お祭りのお手伝いに汗を流しております、美卯オーナーです。
台風12号の進路が気になりますが、大過なく通り過ぎてくれることを祈っております。

さて、今日は連日の異常な暑さでエアコンの効きも今一つという方へ緊急のご提案です。

写真のシートは冬にホットカーペットやこたつの熱を逃がさないために床に敷いて使いますが、この断熱の原理を利用して窓からの熱の侵入を弱めることが出来ます。

使い方は簡単、光る面を外側にして窓に張り付けて下さい。部屋は暗くなってしまいますが、結構な断熱力があり、すぐに体感温度の差に気が付かれると思います。

あくまでも緊急対応なのでメンディングテープのような取り外しが簡単なテープなどで留めて下さいネ。
アルミ断熱シートは百円ショップで手軽に買え、とても軽くてご希望のサイズにカットするなど加工も容易です。

遮熱カーテンに取り換えるなどの暑さ対策がすぐに出来ない方に補助的なレベルですが暑さ対策としてお勧めします。

注:道路に面しているなど光の反射が問題になる場所では使用しないでください。)

 

 

炎暑にてー

[ 2018-07-23 17:03 ]

連日熱波の襲来で干からび気味の尾張一宮より、お久しぶりです美卯オーナーです。


この度の西日本大水害で被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。

そしてそれに追い打ちをかけるようなこの連日の酷暑!!!
先日被災地まで泥かきなどのボランティアへ行かれた方のお話を聴く機会がありましたが、暑さのために15分作業しては15分休憩という過酷さをお聴きして思わず絶句してしまいました、、、。
被災地の皆様とボランティアの皆様の体調が気懸かりでなりません。一日も早いライフラインの完全復旧と生活の復興を願うばかりです。

そしてこの暑さは私にも思わぬ事を引き起こしてくれました。
先々週、梅雨明けしたばかりで急激に眩しく暑くなった日の昼下がり、所要からの帰りに信号待ちをしていたところ、
後ろから走ってきた宅配バンに追突されてしまいました、、、(-_-;)

お蔭様で私に外傷はなく(愛車は入院しましたが―)一応大丈夫?、、、かな?
ですが、今までなかった頸椎の異常感が時々あるのでしばらくは治療とリハビリが必要なようです。

今だ終わる気配のないこの異常な暑さは正常な判断力を奪うので熱中症のみならず、自動車運転の際は皆様くれぐれもご用心くださいませ。
自戒を込めて―。