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ギャラリー&インテリア 美卯 〜つれづれに〜

文系から学ぶ防災

[ 2018-10-28 01:19 ]

天高く馬肥ゆる秋~、、、ですが名古屋の老舗ハーブスのケーキ(大きくて有名)を3分の1残すという、人生の秋を感じた美卯オーナーです。

さて、今年も残すところ早くも!2か月余りになりました。凄く短い1年に感じます。
災害が多かったせいでしょうか?様々な情報を見直しても台風の大型化による風水害、そして環太平洋地域の地震の多さが目立ちます。

そこでご紹介したいのが、磯田道史著『天災から日本史を読みなおす 先人に学ぶ防災』という本です。

私はこの本を読むまで防災に古文書が役に立つという認識が全くありませんでした。

磯田先生はワイドショーなどに出演しているので見知っている方も多いかと思いますが、この方がこれほど古文書マニアであり、その知識を現代に役に立つように活用しようと並々ならぬ情熱をお持ちだということも知りませんでした。

各地に残る古文書の記述にはいつどこでどのような災害があったか知ることが出来ます。
考えてみれば古事記にも水害を暗喩しているような物語があります。先人たちは後世の人にわかり易く災害を伝えるために物語を創作したのではないでしょうか?

この著書では秀吉の時代以降の古文書の記述を元にどんな災害がどこに起きてどのようなものであったか記載。
特に江戸時代には辺境においても災害の記録が様々に残っていて当時の日本人の教養の高さを感じます。
その記録からは子孫が天災によって同じ苦難に合わないよう警告する先人の思いが垣間見えます。

さて、地震は同じ震源域からある程度周期的に発生するので古文書にある地震・津波の予兆現象、被害の内容、発災時から事態の推移にいたるまで参考にならないものはありません。これら古文書の記録から次の地震の被害を予測することができるのです。つまり古文書は過去の災害情報の宝庫なのです。
磯田先生は東海地震の震源域真近と予想されている静岡県に住み、各地に災害に関する古文書を求めて日本中を巡っています。

また地震と同様に過去に起きた豪雨の土砂災害、溜池の決壊なども地質は変えられないなど自然条件が不変である以上同じところに同じ被害が発生する可能性はかなり高いといえます。古文書の記述を元にどこに災害が起きそうか規模も含め予想できれば対策を事前に立てて減災に役立てることができます。
一人でも多くの住民を守るために古文書は先祖からの大切なメッセージでありその重要性を広く世の中に知って頂きたいと思います。

近年、大学の文系学部は直接的には社会や経済に貢献が少ないから縮小すべきとの議論があります。
しかし理系の科学者にはない文系の知識、教養、この場合は古文書の研究が加わることによってサイエンスだけでは究明できない過去の災害のメカニズムを読み解くことができます。
その古文書を読みこなすためには文系学部で学んだ専門性が必要となるでしょう?
防災減災のための研究は理系と文系の共同によって新しい可能性が開けるのではないかと期待します。
文化教養のみならず実利的な面からも文系学部を守るべきであり、学問の多様性は未来を拓くためになくてはならないものだと考えます。

外村吉之介先生

[ 2018-10-22 17:00 ]

秋の一日はとても短く感じますね、美卯オーナーです。

前回のブログでご紹介した外村吉之介先生は知れば知るほど興味深い方です。
まず、私と誕生日が一緒だということ・・・というのはただの偶然ですが(^^ゞ、


外村先生はキリスト教の神学校在学中から日本文学や芸術に関心があり、柳宗悦著『工藝の道』を読んだのをきっかけに柳宗悦先生に直接師事。
そして民藝の実践者となるために本人ははじめ陶芸を志したそうですが、柳先生の薦めで牧師の仕事の傍ら織物をはじめます。
戦前は静岡県掛川の葛布の再興に勤めたり、沖縄の琉球文化の伝統や街並み保存に力を注がれました。外村先生は琉球の織物をはじめその文化に民藝の原点を見、深く影響を受けたと伝えられますが、この部分はこれから深堀できたらいいなと思います。

沖縄はご存じの通り太平洋戦争の激戦地となり多くの人命と共にその貴重な文化のことごとくが失われてしまいました。
その事実を知った時の外村先生の無念はいかばかりだったでしょうか・・・。この沖縄とのかかわりが後年倉敷移住へと繋がったのかもしれないと勝手に想像してしまいます。
なぜなら、、、。戦時中に沖縄から倉敷紡績に挺身隊として動員されていた女子20数名が終戦によりアメリカに占領された沖縄に帰る事ができずに倉敷に取り残されます。その中には芭蕉布という琉球伝統の織物を生業とする家に生まれた平敏子さん(後年人間国宝になられます)がいて沖縄の工芸技術を守るために「沖縄工芸村」を倉敷にという構想が持ち上がります。
その指導者として倉敷へ来ないかと外村先生に声がかかったのですが、失われた沖縄への想いが先生を倉敷へ導いたのではないでしょうか。

昭和21年に倉敷へ移るにあたって外村先生は牧師をやめます。これ以降は伝道活動はせず、昭和28年に自宅に創設した倉敷本染手織研究所は生徒に織物の技術と民芸の心を教えましたが、ここでも布教をすることはなかったといいます。
生徒は住み込みで先生一家と寝食を共にする生活でしたが、食前のお祈りは先生だけがされていたとか―。
戦前は民藝の活動を熱心に取り組みながらも牧師としても活躍されていたのになぜやめてしまったのかとても気になります。

外村先生はじめ民藝の先達が時代の波に翻弄されながらも自らの信念を生ききった姿には学ぶところが余りにも多く興味が尽きません。

倉敷美観地区に学ぶ

[ 2018-10-21 17:20 ]

今日は雲一つない美しい青空の広がる我が街より、美卯オーナーです。
心地よい秋の行楽日和の休日、旅心がふつふつとしてきます。

9月に訪れた倉敷の街では様々に学びを深めましたが、その一つが倉敷美観地区の保存についてです。



江戸時代の街並みの景観がほぼそのままの美観地区ですが、現代まで自然に残ってきたわけではありません。

当然明治以降の近代化と戦後の復興再開発の波の中で成り行きに任せていれば日本中で行われた列島改造の中でとうの昔に失われていたことでしょう。

我が街を振り返ってみてもそうですが、身近なものほどその価値を見誤り易いようで後に遺しておけば街のシンボルになったであろう歴史的建造物が既にない事を悔やまれることしばしばです。

倉敷にしても同じ道をたどる可能性があったわけですが、その街に戦後昭和21年に織物の指導者として招かれた外村吉之介が家族と共に移住してきます。
外村先生は民藝の提唱者である柳宗悦師の直弟子であり、キリスト教牧師の仕事の傍ら戦前から沖縄の織物研究や街並み保存に尽力されていました。

そんな外村先生が倉敷の街並みをはじめて眺めた時どんな感想を持たれたのか興味深いところです。
当時ほとんど日本中の市街が戦争で灰燼に帰す中でこの美しい街を見て絶対にこの景観を後世に残さなければならないと思ったのではないでしょうか。また外村先生は“外”からやって来たからこそより深くこの街の貴重さに気付けたのではないでしょうか。

外村先生は倉敷紡績(クラレ)創業家であり大原美術館を設立した大原家の支援の元、岡山県民藝協会を設立、倉敷にある伝統的な建物の保存運動を展開。その活動のお蔭で現在私たちはこの美しい街を観光できるのですが、近年日本各地で起こっている街並み保存運動の原点はここにあるのかもしれません。外村先生をはじめ民藝の先達の先見性に改めて驚かされます。

今日、美観地区は倉敷川河畔のみならず周辺の路地へも整備が進み面としても広がって、街歩きの楽しさも増しています。

倉敷へー

[ 2018-10-13 16:42 ]

朝晩めっきり寒くなりましたね、美卯オーナーです。

まだ夏の名残のある9月初旬に倉敷へ民藝を訪ねて来ました。

倉敷は20数年ぶりだったのですが、前回は観光バスツアーのため時間が短くでしっかり廻っていませんでした。
今回は手仕事フォーラムさん主催の全国フォーラムに参加、倉敷にある民芸縁の各所を巡りです。

自宅から倉敷までは鉄道を使って行きましたから、倉敷駅から目的地まで地図を頼りに街を歩き回ることになり、おかげで倉敷の街を立体的に知ることが出来ました。
やはり徒歩であれば街の小さな路地までも隅々まで入って行けるので、新しい発見や出会いがあり愉しめます。
今回は残念なことに雨降りがほとんどでしたが、倉敷のような街は雨が町の風情をより深めてくれるので美しかったですよ(負け惜しみでなく・・・(^^ゞ)

20年前との違いは運河沿いの木がとても大きくなっていたことと、やはり外国人観光客がとても多かったことですか、、、。
でも大原美術館をはじめどっしりと変わらない安定した風景に心癒されるものがありました。

私は勉強不足で余り知らなかったのですが、今回のツアーに参加して倉敷美観地区の現在の在り様は民藝運動によって護られ現代へ受け継がれたという重大な事実を知りました。現代の街づくり研究の視点からも大変興味深い事実です。

民藝の運動家であった先人たちの先見性と叡智には目を瞠るばかりですし、そういった街であるからこそ現代でも倉敷は誇り高く手仕事を守る職人が育つ土壌をもっているのだと思いました。

 

ちょっとご無沙汰しております(^^ゞ

[ 2018-10-08 15:48 ]

真っ青な秋空に旅心が揺れる美卯オーナーです。お久しぶりぶり―。
9月はブログの更新が一度もなかったですね(-_-;)スミマセン。
9月前半は結構忙しくして、ブログに書きたいことも沢山あるのですが、
夏頃からの体調不良が一気にぶり返して主治医も\(◎o◎)/!の9月でした。

これからボツボツ面白かったことを書いていけたらと思います。

その第一弾は『木曽川鵜飼』
犬山城下を流れる木曽川で行われている鵜飼をはじめて船に乗って観てきました。
子どもの頃にぎふ長良川鵜飼いに行ったことはあるのですが、あまり印象に残っていません。
今回は知人友人で船を貸し切って宴会をしながらという事も楽しみに参加☺


初秋の風に吹かれながら1300年もの歴史を誇る古代漁法を篝火の灯りをたよりに眺めるのはとても風情があって楽しめ、
正に川合玉堂が描いた絵画の世界が目の前に展開されていきました。

この伝統ある木曽川鵜飼もご多分にもれず存続の危機にあると聴きました。
人と自然の協働と言えるこの美しい光景が永く伝えられることを願ってやみません。


ご興味のある方は↓をご覧ください。
https://www.furusato-tax.jp/gcf/88

 

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