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ギャラリー&インテリア 美卯 〜つれづれに〜

あの子はどこへー

[ 2018-08-11 16:39 ]

今日もまた35℃超える猛暑に加え真夏だというに乾燥注意報発令されるカラッカラの尾張国一宮より、美卯オーナーです。

 

8月に入ってから太平洋戦争に関連した番組がみられるようになりました。

その中で注目したのは戦後に親を失った子供がどう生き、今どうしているかというドキュメンタリーです。

驚いたのは私の両親と余りと年齢の変わらない方たちも空襲で家族と家を失い戦災孤児として扱われ、戦争を生き残ったものの護ってくれるどころか大人から動物のような扱いや搾取され、多くの孤児が亡くなったという事実です。

これまでの戦後特集ではあまり子どもたちの視点で描かれることがなく、終戦後の記録映像で戦災孤児が映るたびにこの子はその後どうなったのだろうか?と気になっていました。

私の両親は軍隊に入隊したり、集団学童疎開で家族と離れたりしていましたが、幸い帰る家と家族があったので苦労をしつつも平穏な戦後昭和時代を生きることができました。でもあのまま戦争が続いていればそうはいかない紙一重だった、だからこそ、戦災孤児たちの戦後を知って心が痛みます。

そして昨夜深夜の時間帯にNHK総合で再放送された「父を捜して~日系オランダ人 終わらない戦争~」(2017年製作)は戦争がその時代のみならず終わった後も多くの人々を傷つけ続ける事を伝えていました。

戦前インドネシアは300年間オランダの植民地であり、そこには多くのオランダ系(インドネシア人との混血)住民がいました。日本がインドネシア占領後にそういった人々は捕虜となり過酷な労働を強制され、日本はオランダ系の人々に深い恨みを買うことになります。そんな経緯が尾を引いて現代でもオランダ人は親日的ではないようです。

そんな戦時下に日本人の軍属とオランダ系の女性の間に生まれた子どもたちがいましたが、終戦後父親たちは日本へ強制送還され、また取り残された子どもたちも戦後インドネシアがオランダから独立したためにオランダ系の母親とその家族と共にオランダへ送還。そのため父と子たちはお互いの安否を確認する術を失いました。

オランダで子どもたちは日本人の血を引いているということで家族から差別され孤立したり、暴力を振るわれたりして厳しい生育環境に置かれます。オランダ系の人々は自分たちを暴力で支配した日本人を許せず、その怒りの矛先を子どもたちに向けたのです。

元孤児の中には50歳近くになるまで自分には日本人の父親がいる事すら知らされず、その暴力の理由がわからずPTSDに長年苦しんだり、、、。自分の父親が日本人であることを知ってはじめて自分に向けられた暴力の意味と原因を知ったのです。

改めて『暴力』とはおそろしいものだとー。
戦争という巨大な暴力が家庭や個人の生活の中にも入り込み仲睦まじい家族や人々の絆や人生を壊していくー。
しかもそういった暴力は最初に暴力を受けた人から常に更に立場の弱い小さい者たちへ向い連鎖する事、この憎しみの連鎖は勇気をもって断ち切る人がいなければ更に次の世代へ連鎖し続けていくという事実。

終戦73年経った今も戦争の産んだ暴力の連鎖との戦いは続いているのです。

今年も終戦の日がやってきます。おおくの御魂が安らかなることを改めてお祈りしたいと思います。

 


 

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